美しいまでの表現描写です。僕は数学が良く解らない、でもルートの真摯な授業だったら僕でも理解できない事が解ると思います。特に中学や高校の先生に見習って欲しいと考えます。 博士の愛した数式 [レンタル落ち] 関連情報
動物(人形や模型もある)達との関わりを通じて、痛みを抱えた人間達の心理模様を優しく包み込む様に綴った(モチーフとしての)連作短編集。不思議な静謐感を湛えた作品であり、「いつも手元に」置いておきたいと思わせる出来。一方、本短編集は作者の特徴が非常に良く出た一種の不条理小説でもある。各編には一応のテーマがあり、(見かけは)そのテーマに沿ってストーリーが進行するのだが、作品としての首尾一貫性や論理性を見出すのは極めて困難である。私は作者の短編「巨人の接待」を読んで、その不条理性に瞠目したものだが、作者の作品を初読の方には本短編集はやや敷居が高い感がある。童話・寓話と言うには小説として高度に練れており、通常の小説を期待すると"良い意味"で裏切られるというカフカ的味わいのある卓抜な短編集。作者との距離感によって、随分と印象が異なるかも知れないが、手に取る価値が十二分にある秀作だと思った。 いつも彼らはどこかに (新潮文庫) 関連情報
孤独死した、「ことりの小父さん」と呼ばれる男の一生を描く。ほとんど奉仕の人生である。奉仕という言葉より、お世話する、という方がぴったりくるかもしれない。前半は、人間の言葉を子供のころ放棄した兄(自由意思による放棄ではない。なんらかの病名がつくのだろう。失語症+自閉症?)に捧げられる。兄の世話をし、働いて2人分の生計を立てる。後半生は、兄がこよなく愛し、そのさえずりを理解した、小鳥たちに捧げられる。近所の幼稚園の鳥小屋の清掃をボランティアとして続けるのだ。それは兄への供養もこめられている。もちろん小父さん自身も小鳥たちをこよなく愛している。不幸な事件があって鳥小屋の清掃ができなくなり、お世話の対象を失うと、小父さんはひどい偏頭痛持ちになる。リタイア後は,さらに酷くなる。しかし最晩年に、傷ついためじろの幼鳥の世話をするという僥倖に恵まれる。ほとんど起伏のない人生なのだが、もちろん小父さんもお兄さんも動物の雄であるのだから、異性を求める気持ちはある。しかし小鳥が愛の歌をさえずるようには、上手に事を運ぶことはできない。お兄さんの求愛は、周囲に求愛であることすら気づいてもらえない。弟のそれも、およそ客観性を欠いたものである。動物の鳴き声を愛でる男が2人登場するが、どちらも人間のエゴイズムによるもので、お兄さんや小父さんとは対照的である。小父さんの人生を脅かすものは、すべて外からやってくる…。小父さんは、無私の心で生きた。それは努力してそうしたのではないし、自覚もしていなかっただろう。周囲の人々の目には、ひどく恵まれない人生にうつったかもしれないが、おじさんが不幸だったのかというと、そんなことはない。それはこの小説を読んで好ましく感じる読者にはわかることだろう。中盤、読んでいていささか冗長に感じるときもあった。起伏のない人生を長編で読ませるには、圧倒的なコトバの力が必要である。小川ワールドの魅力でぐいぐい読者を引っ張っていかなくてはならない。小川氏の筆力を持ってしても、それはなかなか難しいことなのかもしれない。 ことり (朝日文庫) 関連情報
小説に何を求めるか――によって、この本の読み方はまったく違うと思う。幼い子供たちの閉ざされた生活は、「楽しいかどうか」ということになると、決して心地よいものではない。怖さのようなものもある。しかしエンターテインメントに重きを置かないのであれば、この小説は、美しい。まず、文章が技巧なくきらめいている。ラストシーンの一節などは、「言葉」「文章」の可能性を見る思いだった。「博士の愛した公式」のような、奇妙な明るさのようなものはないが、細部を描く表現力は圧巻とも言える。ストーリーを追う小説ではなく、文章を味わう小説とでも言えるだろうか。もちろんこの作家ならではのイメージの飛翔は、しっかりある。「好き嫌い」を考慮して★1つ減らしたが、いい本である。 琥珀のまたたき 関連情報
The Housekeeper and the Professor
アメリカ人の友達が題だけをあげて推薦したので買ってみた。家政婦会の名前が出てきたとき、はじめて日本の作品だと気付いた。翻訳がこなれているせいだろうか、不思議と日本臭を感じない。日本の野球の話が盛んに出てくるのだけれど、どこでもあり得ることで、だから日本だとは限らない。だが、感動的な作品で、日本語でも読んで比較してみようと思っている。 The Housekeeper and the Professor 関連情報