書店で装幀と目があってもとめた本書。しかし、この本、実に読ませる。 ロッパの日記を仔細に読み解き、それに基づきながら彼の一生をたどるという構成だが、読み進めていくうちに、いつの間にか著者が書いているにも関わらず、ロッパ本人が語っているかのような錯覚に陥る。 私は「古川ロッパ」という人物について大した知識はなかった。戦前から戦後にかけての喜劇役者。その程度だ。しかし、華麗な血筋から、菊池寛や武者小路実篤といった文人との付き合い、戦中を通しての活躍などその激動の時代を生き抜いた一人の人物の姿が克明に描き出されると、それこそ観劇さながら身を乗り出さざるを得ない気持ちになる。個人的に何より驚いたのは、戦中にも喜劇が上演されていたこと。そして、空襲警報におびえながらもそれを多くの人が観に来ていたこと。やはり人はどんなときにも笑いを求めているのだ。内大臣の木戸幸一、貴族院議員の大蔵公望、外務省東亜局長の石射猪太郎といった面々まで観劇して感想を残しているのには本当に驚いた。しかもそこに世相を重ね合せようとするあたり時代を感じる。 それにしても、著者の日記を読むことに対する情熱はすごいと思う。同時代人の日記にまでしっかりと眼を通し、時代を克明によみがえらせる。そもそも過去の人物の日記を読むという行為は決して簡単ではないと思う。基本的に他人に読まれることを想定していないから、私的な略語があるだろうし、固有名もはっきりと書かれていないだろうし、記憶違いもあるかもしれない。それを膨大な知識と時間をつかってきちんと裏付けをとりながら解釈していくのは、まさに歴史家という人たちの仕事ということなのだろう。脱帽だった。 もちろん、その日記への著者の情熱は「古川緑波日記」にも惜しみなく注がれている。原稿用紙にして30000枚の日記を書いたロッパ。それにしても何がそこまで彼を日記に駆り立てたのだろうか。戦後の没落していく日々のなかでも日記だけが彼の生きがいだったというのは、タイトル通り、彼自身の悲哀を感じた。 そういう私は三十歳をこえて、一人の人間の人生という名の劇を読んだあと、数十年ぶりに日記を書こうかという不思議な気持ちになっている。大学ノートを買いに行かなくちゃ。 哀しすぎるぞ、ロッパ 古川緑波日記と消えた昭和 関連情報
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