武居俊樹 ランキング!

武居俊樹 赤塚不二夫のことを書いたのだ!! (文春文庫)

武居俊樹と言っても誰のことかは知らないが、赤塚不二夫のマンガに出てきた「サンデーの武居記者」と言えば、40代、50代の元少年サンデー読者なら知らない人はいないはずである。細いつりあがった目に、デカい鼻、えらの張った顔のキャラクター。赤塚不二夫が「靴下クサイ!」と言うと「うるさい!バカ塚」と返す傍若無人なふるまいの編集者は読者に強烈な印象を与えたものだった。その武居記者が赤塚不二夫との仕事について本を書いた。その名も、「赤塚不二夫のことを書いたのだ!!」 。これがとてつもなく面白いのですね。赤塚自ら武居に語ったデビューまでの人生。メチャクチャな仕事っぷりと遊びっぷり。「天才バカボン」のマガジンからサンデーへの移籍の内幕。山田一郎への改名騒動。などなど、どのエピソードも当時サイコーに面白かったギャグマンガがいかにして生まれたかの歴史的証言になっている。何よりも赤塚不二夫の創作の秘密(というよりフジオプロの、か)が語られているのが興味深い。赤塚というと、なんとなく一人でイヤミやデカパン、ちび太にニャロメといったキャラクターを生み出し、マンガを描いていたような印象がある。それがまったく違うことに気付かされ驚かされる。当時フジオプロには、長谷邦夫、高井研一郎、北見けんいち、とりいかずよし、古谷三敏、あだち勉ほか、現在も活躍する綺羅星のごとき才能が集まっていた。すべての作品は赤塚本人とアシスタント、そして編集者によるアイデア打合せによって生み出されていたのだ。しかも、ほとんどそのアシスタントから一本立ちしたプロが育たなかった手塚と比べ才能が枯れる前にデビューさせた赤塚は結果的に自分の作家生命を縮めたとも書いてある。深いなあ。100年に一度の天才ギャグマンガ家・赤塚不二夫はアルコール中毒に脳内出血など多くの病気を併発し、現在都内の病院に入院中。意識はないという。ぜひとも、奇跡の回復を祈りたい。 赤塚不二夫のことを書いたのだ!! (文春文庫) 関連情報

武居俊樹 赤塚不二夫のことを書いたのだ!!

武居俊樹。その名を聞いても全く覚えはありません。しかし表紙の似顔絵と「武居記者」という字面を見た瞬間、昭和40年代後半、少年サンデーに夢中になっていた日が甦りました。「レッツラゴン」という、ある意味赤塚マンガの到達点の立役者が、武居記者こと武居俊樹氏。その武居氏が、36年の編集者生活の中でいちばん濃密だった赤塚さんとの日々を綴っています。全編抱腹絶倒話の連続で、赤塚マンガが生まれる秘密から、「山田一郎改名騒動」など、伝説と化したエピソードの裏話が満載されています。そしてなにより驚いたのが文章のうまさ。今年読んだ本の中でも(まだ半年ですが)、ベスト3に入る面白さで、赤塚マンガと赤塚さんの魅力を語ってやまない名著だと思います。書名と武居記者の似顔絵のある半透明カバーをめくった表紙カバーには「アジャパー!!」とキメる赤塚マンガのキャラクターが勢ぞろいしているのも楽しいアイデア。こんこんと眠り続ける赤塚さんが眼を覚まされますよう、一ファンも心より祈っております。 赤塚不二夫のことを書いたのだ!! 関連情報

武居俊樹 赤塚不二夫のことを書いたのだ!! (文春文庫)

 ある意味、ほめ言葉だよ。だけど、当時、『少年フライデー』も『レッツラゴン』も、ひどくつまんなかったぜ。あんたのせいだ。いまさら読み返す価値はないと思う。 『バカボン』は、赤塚の読者へのサービス精神に溢れていて、毎回、お! という、キレがあった。なのに、その後、担当編集者にだけ媚びるようになって、視野から読者が無くなった。ラーメンにつかってる写真を見たときは、赤塚先生、なんで、、、って、さみしかった。 この本を読むと、『バカボン』のマガジンサンデー移籍事件のころに何があったのか、どうして赤塚ほどの大物が業界で潰されてアル中になったのか、が、わかる。 ジャンプの全盛時代に、手塚はチャンピオンに乗ってはい上がってきたけど、赤塚はセンスの古いマガジンやサンデーに義理立てして、編集者に振り回され、急激に読者との関係を絶たれてしまった。石森や藤子、つのだ、古谷だって、その後に生き残ったのに。編集者って、マンガ家と読者をつなぐのが仕事じゃないのか? この本に書いてあることは、編集者の自画自賛。だから、それを突っ放して読んでこそ、もはやもの言わぬ赤塚側の言い分が聞こえてくる気がする。 赤塚不二夫のことを書いたのだ!! (文春文庫) 関連情報




Loading...


ここを友達に教える